結局。

私が執着してるのは「内君がいる関ジャニ∞」なんじゃなく、
「内君に執着する関ジャニ∞」なんやろうな。
好きになった時にはもうエイトは「内君にこだわって」活動してた。
ちらちらちらちら色んな方法でそれを見せて聞かせてくれてた。
ここ最近…内君の名前を普通にメンバーが出すようになってから、
その「内君にこだわってる」感じが薄れて、と言うか「関ジャニ∞には内博貴」というこだわりが全く感じられなくなって、
「何か言われたんかな」って、
「何か」を想像するしか出来ない現状に苛立つ。

自分がこんなに関ジャニ∞にこだわってるとは思わなかった。
私がこだわってんのは横山裕関ジャニ∞はその横山裕をより素敵に見せてくれるオプションでしかないのかとも思ってた。

違うんやな。
内君への執着を見せてくれなくなった、内君をエイトに戻すことに執着を見せてくれなくなった、
そんな関ジャニ∞にこんなに淋しくなるとは、横山君の言葉すら辛いと感じるようになるとは思わんかった。

「意地」で「8人」を望み続けてるんだと思ってた。
横山裕が望むから」「8人」を欲し続けてるんだと思ってた。

全然違うんよな。
ただ「私が見たい」だけ。「内君に執着し続ける関ジャニ∞」と「8人の関ジャニ∞」を、
「私が見たい」だけ。

エイト本位だとエイトを責める資格なんて無い、
私こそが「自分本位」でエイトに内君にこだわり続けて欲しいだけ。
でも「ファン」てそういうもんやろって、それもただの言い訳なんよな。


明日、またレイトショーでオカンとトランスフォーマー観に行くけど、
そしてトランスフォーマーには勿論何の燻りも持たずただただカッコイイ!大好き!な気持ちしかないけど、
部屋にあるオプティマスのフィギュア見ては横山君が同時に浮かんでくる。
自分が勝手に似てると思い込んでるから。
こんなにエイトが侵食してる生活を続けてきたのに、そんな急に嫌いになれるわけでもどうでもよくなるわけでもない。
からしんどい。

切り替える努力が必要なんやろな。
「努力」ってそんな大層なもんいるんならファンなんかやめちまえよ!って思うのに、
でも私の「大好きなもの」の中からエイトを削除するなんか考えられん。

好きなものを好きでい続けるには、もしかしたら多少の努力は必要なのかも知れない。
今までそんな努力したことなかったから分からんかった。


横山君が好きです。
エイトが好きです。
「私が見たいだけ」の関ジャニ∞を、これからだって望み続けます。