有り難い。



明日(日付的には今日)、どこも行かずに落書きする予定やったけど、
いつも道の駅巡りするおっちゃんらが、明日行くぞって、
勝手に私もメンバーに組み込まれてるんで、おっちゃんらと遊んでくる。
この仕事してて良かったと思うのは、色んな人と友達になれることよな。
下は小学生から上は88歳のじーちゃんまで、
二人きりでご飯食べに行ったり遊びに行ったり出来る友達が出来たもん。
姉ちゃんおもろいなー今度メシ食いに行くか?って誘ってもらえる時もあるし、
自分から素敵な女性だとか可愛い女子高生だとか思った人に声かけるのもあるし、
過去にしてきたバイトとかで知り合った人ももちろんいてるし、
色んな年代、色んな職業の人と話す機会があると本当に楽しいし勉強になる。
いっつも道の駅巡ったり釣り行ったり山行ったりするメンバーも、
50代、60代、70代のおっちゃん3人で、
一人は若かりし頃に背中や腕に墨を入れてるから、真夏でも長袖っていう、
でも今は完全なるカタギで普通におもろいおっちゃんなんやけど、
やんちゃしてた時代の話とか聞くんは面白いし、
自分の知らない世界を知ってる人と交流すると視野が広がる気がするし、
これからもフットワーク軽く色んな年代、職業の人と知り合っていきたい。
今日も夕方仕事場に戻る途中に近所の小学生と会って、
夏休みになったら(その子らが)、また虫採りに行こうでーって言われて、
私は全国の29歳女子の中で、誰よりもセミをたくさん採る自信があるってくらい、
セミとかカブト虫とかカミキリ虫の幼虫とか採るの上手いんで(そもそも29歳女子は虫採りしないとかそんなの知らん)、夏休みの子供たちにちょっとした尊敬の眼差しを貰える。
そんなことで喜んでるあたりがどうしようもないんやけど。
交番の前とかで立ってる警察官の顔をじっと見て、
目が合ったら「やばっ」って顔して猛ダッシュして逃げたら、
絶対警察官追いかけてきてそれがおもろいって遊びしてたり、
全然知らん人にいきなり「Hi!What are you doing?」「How do you do?」とか、
簡単やけどテンション高い英語の単語連ねて話しかけて、
話しかけられた人が片言の英語で「ノースピーク」とか言ってんのを面白がったり、
そんな遊びを24歳くらいまでしてた私やから仕方無い。








以下、超自己満足と言うか個人的なメモです。
29歳になった時こんなこと思いよったんやってのを後で見返したいだけなんで、
面白いことは何一つ書いてないんで(まぁこのブログ全体が面白くはないけど)スルーして下さい。














子供の頃から色んな環境に身を置かなアカンかって、って、
でもそれを言い訳にする気は無いんやけど、でも絶対に、どうしても、
真っ直ぐでは、素直ではいられない、ひねくれて穿った見方してしまう、
そんな人間性は抜けないんで、これから先もきっとずっとこんな感じなんやろな。
貫き通す意地の一つもなくなったら男は終いやと思ってるから、
曲げた方が消した方が波風立たないって分かってる意地でも、死ぬまで持ち続けるんやろうし。
でもそうやって、ひねくれてる人間でも、
そのひねくれごと認めてくれる友達がいることが死ぬほど有り難い。
怒られることもいっぱいあるけど、怒ってくれることも有り難いしね。
私が本当の家族からは貰いきれなかった色々も、
本当の娘みたいに思って迎えてくれる友達のおばちゃんとかおっちゃんとかもおるし。
もちろんオトンとオカンにも感謝してるけど生んでくれて。
だから、誰の人生もきっと50/50なんよな。
ポジティブな人は、いいこと100で悪いこと0やと思うかも知れんし、
逆にいいこと0で悪いこと100って思ってる人もおるやろうし。
でも第3者から見たら、多分とんとん(50/50)なんよね。
どう受け取るかだけよな、ホンマに。
ここにも何度か書いた、『負い方一つで重荷も軽い』が、本当にそうやと思うもん。
指1本で持つのと、両肩でリュックで背負うのとじゃ、同じ荷物でも感じる重さは違ってくるやん。
だから、なるべく、どんなに重い荷物を目の前に置かれても、
こうやって持ったら軽い軽いって思える負い方見つけて、
必要以上の重さは感じないようにしたい。
そのさじ加減はやっぱ「慣れ」なんよな。
ある意味両親には感謝してるわ色んな経験させてくれて。
「自分を大切にしてくれるか」やなくって、
「自分が大切にしたいと思えるか」が判断基準になってくるしね。
「見返りを求めない」ってめっちゃ難しい、本当に。
でも多分、それが一番楽なんよな。
私はこんなに苦労してこんなに自己犠牲を払ったのに何であんたは何もしてくれんのって、
そんな憤り感じることなんかいっぱいあるけど、
憤るエネルギーあるなら、それを他に回した方がよっぽど建設的やし。
難しいけどね。
「何で自分だけ」って、悲劇のヒロインぶりたがる。
まぁヒロインぶることでやり過ごせるならそれも一つの手やとは思うけど。


29歳なんか、ホンマに普通に結婚して子供もいるもんだと思ってた子供の頃。
それが「当たり前」だと思ってた。
「当たり前の人生」なんかどこにも無いのに。
勝手に明日も明後日も家があって家族がおって友達おって仕事があってって、
それが「当たり前」やと思いよるけど、「当たり前」じゃないんよな。
それが突然消える怖さも悲しみも何度も味わったから、
本当は「今」をもっと有り難いと感じなアカンのよね。


いつまでも過去に縛られてる気はする。
細かい痛みは忘れたけど、真っ二つに切り裂かれた瞬間の激しい痛みを、
時々、ホンマに時々思い出す。
そしたら、他人に対して「どうせあんたには分からない」っていう思いを持ってしまって、
20代前半の頃にずっと年上の友達に何度も怒られた、
そうやって端から「分かってもらえない」って思いながら接されたら、
分かってあげたいと思って接してる私たちに対して失礼だって、何度も諭されたけど、
でもそうやって、「どうせ分かってもらえない」ってのは、
一種の自己防衛で、「もしかしたら分かってもらえるかも」って期待を抱いて、
その期待が砕かれた時、「やっぱり分かってあげられない」って言われた時、
その時受ける痛みをどうやって誤魔化せばいいのか、
それなら最初っからそんな期待持たない方が、「理解」を欲しない方が、
その方が自分が傷付かないと思うから、どうしても「どうせ」って前置きを使ってしまう。
「どうせ」って言葉を使う人間ほど、
その「どうせ」を否定して欲しいと、「理解」を欲していると痛いほど分かってるけど。
忘れたいと思ったこともあるし、実際殆ど忘れてるけど、
忘れてないから気付いた現実とか受け入れられる事実もこの世の中にはあるし、
自分でも思うし人からも言われるけど、
やっぱり基本的に「冷めてる」し、世の中を下らないって目でみてしまうってほんとどこの中学生。


心の捩れを元に戻して真っ直ぐになるには、
もう精神を壊してロボトミー手術したみたいに、感情を司る脳を殺すしか無い気がするし。
真っ直ぐな人に憧れるし、それ以上に恐怖を抱くけど、
今のこのひねくれまくって可愛さや素直さのカケラも無い自分でも、
何でか自分が好きでしょうがないし、自分に生まれてきて良かったと思ってるし。
この29年間で付着した汚れごと、これからもっと増えていくだろう汚れごと、
それでも自分で自分を認識しながら生きていける「今」に感謝したい。




1年後、もしまだここで何かを書いているなら、今日の自分よりは成長した自分で在りたい。