一度きちんと自分の中でまとめて処理しない事には、
いつまでたってもおさまりのつかない赤西君への靄懸かった感情を、
もしナンシー関さんが生きていたら「赤西仁」をどう書くかと考えながら書いてみる。
とか言って結局私の意見だけど(当たり前)。
そして赤西君に触れるには、私の中で同じ線上にある木村拓哉(敬省略)にも触れておかないと。


全く何かに迎合しようだとか誰かに媚びようだとか思わなきゃ、
こんなに気軽なストレス発散ツールも無いよな。



ナンシー関さんと言えば消しゴム版画だけど、そんな芸当持ち合わせてないし、
今のテンションで赤西君を描くのは無理なので3年前の落書き。




木村拓哉」=「かっこいい」、もう間違えようがない。
街で「木村拓哉の代名詞と言えば?」と聞いたら99%の人間が「かっこいい」と答えるだろうし、
その答えに異存が生まれる余地が無いほど、磐石な「かっこいい」を持った人だと思う。
それは置き換えれば、「かっこいい」でしかありえない、
「かっこいい」の世界の中でしか、この人のパーソナリティは成り立たないことになるんだけど。
「かっこいい」の世界でしか、木村拓哉は存在してない。
ハゲヅラかぶろうが鼻の穴黒くぬろうが泥まみれになろうが粉まみれになろうが、
「かっこいい木村拓哉」の経過、結果にしか過ぎない。
だから今となっては彼のファンからすら言われる、
『何をやっても(演じても)木村拓哉』になってしまう。
木村拓哉の演じる「パイロット」、木村拓哉の演じる「レーサー」、
木村拓哉の演じる「検事」、木村拓哉の演じる「総理大臣」、ではなく、
パイロットを演じる「木村拓哉」、レーサーを演じる「木村拓哉」、
検事を演じる「木村拓哉」、総理大臣を演じる「木村拓哉」と、
結局「木村拓哉」が勝ってしまって、蓋をあけたらただの「木村拓哉コスプレショー」になってしまうんだよな。
それでもドラマとして成り立つのは、脚本と周りの俳優さんに恵まれた結果だろうし
(しかし何がすごいって木村拓哉が出てるドラマを私は一つもちゃんと見たことないんだが、
それでもどういう役かとか話かとか認識されてるのがすごいよね、メディアの木村拓哉信奉感がね)。
ただいかんせん「かっこいい」。
そりゃそうだ。
あの木村拓哉パイロットだよ?レーサーだよ?かっこ悪いはずがない。
甘いはずの砂糖に更に練乳かけてこねくり回して甘さをこれでもかと強調するほど、
揺るぎない「かっこいい木村拓哉」の出来上がりだよ?
正直胸焼けするよ。もういいよ。
木村拓哉が「木村拓哉」という以外の肩書きを手にするには、
「役者」だと思われるには、世の中の人間の大半に、
木村拓哉が演じる何かを、心から気持ち悪い、かっこ悪いと思わせないと無理だろうなもう。
そして本人も自覚しているだろうしね(何をやっても同じ、ということを自覚してるんじゃなく、
世間にそう思われているということを自覚してるだけだろうけど)。
木村拓哉の職業は歌手でも役者でもアイドルでもなく、「木村拓哉」になってんだよな。
30過ぎてからの木村拓哉はどうだか知らないが、
昔は「だって俺キムタクだし」的な、自分がかっこいい、特別だと認識してると思わせる発言を、
コンサートのMCだったりラジオだったりバラエティーの企画だったりでよくしていた。
勿論ネタ的にそういう発言をしていたんだろうが、
木村拓哉が言うとネタにならないということを分かった上で言っている、一種確信犯的なものもあった。
何をしても何を言っても「かっこいい」。
可哀相なほど「かっこいい」以外のテリトリーに入らせてもらえない人だと思う。


前置き(木村拓哉話)が長くなったけど、っていうかこれでもまだまだ足りないくらい、
木村拓哉というかSMAPというか自分の中の色々を整理したいけど取り敢えず本題の赤西君。


赤西君が「有閑倶楽部」の第1話で、
ダンスフロアにいる岩田さゆりちゃんに手を腰のあたりで軽く振るシーンを見て、
木村拓哉みたいやん」と思った。
私だけじゃなく、あれを見た妹、友達、全員が「木村拓哉っぽい」と言った。
「っぽい」というか「まんま木村拓哉」だ。
別に赤西君が木村拓哉を意識してるとか真似したとかいうわけじゃなく、
「かっこいい」手の振り方、ちょっと普通っぽくない手の振り方を、
赤西君のビジュアルをもってした結果、「木村拓哉」的なものになってしまったんだろうと思う。
「赤西君のビジュアルをもって」が、結局ポイントだ。
赤西君は「かっこいい」。木村拓哉ほど磐石性というか、一般性、大衆性があるかは別としても、
この人を「かっこ悪い」と言ったら自分が可哀相なだけだと認識出来るほどには、
「かっこいい」が当たり前についている人だと思う。
なのに私はこの人の「かっこいい」を受け入れられない。
木村拓哉の「かっこいい」にはある「潔さ」が、赤西君の「かっこいい」には見て取れないからね。
結局あの話に辿り着くんだけどね。そこを突き詰めたかっただけだしね。
「本当の所はどうだったんだ?」と、本人にお聞きしたい。
今となってはもう誰も触れない、語らない、知ろうとしない、
何だ、赤西君の「あの事」に触れるのはタブーなのか?
雅子様のパンチラ写真を雑誌の表紙にもってくるようなものなのか?
キダタロー小倉智昭の前であのタレントってヅラだよねーとか話してるようなものなのか?
次期総裁を誰にするか自民党幹部だけで密室談合する灰色の日本政治と何ら変わらない不透明な一連の件。
真実、事実は何も教えられてないのに当たり前のようにジャニーズのアイドルで確固たる足場を貰ってる。
ワオ。
赤西君が「男らしく」とか「初志貫徹」の意味合いの言葉を言うと、
どの口がそれをほざくんだと胸ぐら掴んで唇をかがり縫いしてやりたいくらい苛つく。
一度でいいからメディアで、
「逃げました、何か色々いっぱいいっぱいだし頭下げ過ぎて脳に血が溜まりそうだったし、
英語勉強したいなーってのもあったし、とにかくとりあえず一人というかこの場所から離れたかったんです」と、
上記が事実じゃないならないで、赤西君の口からあの時の感情心情を語って頂きたい。
何だか分からないうちに疲れ切った顔で記者会見して旅立って、
半年だか英語の勉強と言う名の休暇を終えて帰ってきたら、
どえらい迷惑かけたはずのKAT/TUNのコンサートに立ちメディアはこぞって「おかえり」を言い、
何だかんだで主演ドラマを与えられ何の力だか雑誌、テレビの恋人にしたいタレントでは1位になり、
もうあの半年のことは無かったかのように、ほんのちょっとおいたしちゃっただけです、
他のメンバーよりちょっと長い冬休み貰ってただけですとでも言うがごとくメディアに鎮座している赤西君に、
「潔さ」なんて微塵も無いだろ。
ジョディ・フォスターと通訳無しでデート(あれがデートなら日本は毎日色んな会社の会議室でデート三昧だが)、
友達の家でたまたま見て録画してないから出来ないが、
あのやり取りを英文にしたら、中学卒業してたら誰でも分かる程度の英語なんだろうが、
大事なのは赤西君の英語力云々じゃなく、ああやって英語を使うことで、
あの半年を必要付ける、あの半年に正当性を付けるというのが見え見えで、
あんなKAT/TUNのファンしか見ないだろう番組でそれを見せたところで、
パブリシティーな免罪符にはならないだろうが、そもそもファンじゃない人間にとったら、
半年間そこに赤西君がいようがいまいが知ったこっちゃないしファンにだけ正当化しとけばいいのか。
もっと時間が経って、アイドルと呼ぶにはトウが立ち過ぎてると言われるような年齢になったら、
あの一連の経緯を、包み隠さず話してくれる時が来るんだろうか。
それを赤西君の口から聞くことがない限りは、いつまでたっても赤西君の中に「潔さ」は見出せない。






・・・ストレスを発散させるために書き始めたはずなのに、
書くにつれどんどんストレスが溜まっていってるのはどういうことか。
考えたら当たり前だろ、自分。
何だって好意的な感情を持ってやしない人間のことを何時間も考えて言葉にしなきゃいけないのか?
バカじゃないか私。
どんな時間の無駄遣いだよ。
4時間もありゃ頑張れば、出会い→恋愛→結婚までいけるかも知れないってのに!
でも「考える」ってことは、自分の中に確かに存在が「ある」ってことだもんな。
この前何かのテレビで亀梨君を見た時に、真剣に5分くらい亀梨君の名前を思い出せなくて、
亀梨君のことが嫌いなわけじゃ勿論無く、嫌いも好きも、そんな感情をもつ機会すらないほど、
もう私の中で興味の無い、どうでもいい事項に入ってたんだとびっくりしたよ。
3年前は「聖君と一緒にいる亀梨君は可愛くて好きv」とかほざいてたはずの自分なのに、
今は名前すら咄嗟に出てこない有様だよ。
本当に芸能人って「消耗品」「消費物」なんだと思った。
「消費され続けること」がいかに難しいかってことが分かるよな。




・・・もうナンシー関さんもくそもなくなってるし。




最後にナンシー関さんのジャニーズ(アイドル)考を抜粋。
生きてて欲しかったなぁ。
ナンシーさんならエイトのことをどういう風に斬ってくれたんだろ・・・。めっちゃ見たかった。
それが辛辣であっても、的を得てるな、と唸らされるはずだしね。




『あの安い復帰特番、それによって許された稲垣吾郎
それが本当に意味するのは、あれで復帰劇大成功とすることが出来る「力」の誇示である。
それはSMAPの力であり、ジャニーズ事務所の力であり、テレビの力であり、メディアの力である。』


『アイドルへの対し方って、消費するかしないか(客になるかならないか)の二者択一しかないと思う。
客(ファン)の輪の外で理屈を言ったり、またそれを聞いて理解した気になっても、そんな行為に意味は無い。』


『そこにいる滝沢に、というよりジャニーズ事務所に平伏すの図、に見える。
ジャニーズ事務所というのは、事務所なのに生き物みたいだ。
週刊文春」があんなに一生懸命たたいているのに、何事もなかったように涼しい顔で
連日テレビに出ている。その「涼しい顔」というのは個々の所属タレントの顔がそうなのではない。
事務所自体の顔つきである。生命体か。なんかこわっ。』


『「マッチさん」という言葉自体も、また「マッチさん」に込められた敬意も、
有効なのはジャニーズ事務所という限られた組織の中のみのはずだ。
広げて解釈するとしたら、ジャニーズ事務所の世界観みたいなものに同化してるファンには有効だろうが。』


『そのときどきの人気者を決めるのは、子供の熱狂だと思う。
大人にほめられたってあんまり意味ないような気がする。
大人の支持って、感情じゃなくて分別だし。』