生と死。



妹に赤ちゃんが生まれました。


ただ、何だかちょっとあって、2,3週間小児科で入院で、
お母さん(妹)と一緒にはいられないそうで、
妹は落ち込んでましたが、
もちろん命には何の別状もないし、
ただ赤ちゃんなので大事を取って、って事らしいのですが。


お疲れ様。
あんなにちっちゃかった妹がお母さんだなんて。




仕事を終えてお店を出たら、
4月に死んだ友達のお母さんが待っててくれて、
今頃になってごめん、と、
その子が病室でしたためた私宛の手紙を頂きました。






その子が病気で死ぬと分かってからも、私はずっと笑ってたし、
その子が最後の最後、息を引き取るその瞬間も私は笑ってみおくったし、
諸々の届出や葬儀もおばちゃんの代わりに平然とこなしたし、
皆が泣いてても泣かなかったし。


手紙の最後に、震えた汚い文字で、
「○○ちゃん(妹の名前)の赤ちゃんが見たかった」と書いてるのを見て、


初めて。
あの子が死んで初めて、
声をあげて泣いた。
ってか今も泣いてるんですけど。
どうやって泣き止めばいいのか分からないんですけど。
画面が滲んで歪んで見にくい。




何度も何度も人が死ぬのを見てきたし、
死体や血に普通の人ほど驚いたりしなくなって、
でも、人の死を悼むことには慣れない。
慣れないんだよ。






淀みない「生」の営みを与えられていることがどんなに幸せなことなのか、
愛しいと思う人の顔を見ることが出来て、
愛しいと思う人の顔に触れることが出来て、
何より愛しいと思える人がいて、
その愛しい人が愛しい命を生んで、
そんな目の眩むような幸せを与えられているのに、
どうしてつまらない事に憤ったりして自分を消費するんだろう。




愛しいよ。
まだ顔も見てない妹の赤ちゃんを想うと、嬉しくて涙が出てくる。
死んだあの子に、赤ちゃんを見せてあげたかったと思うと涙が止まらない。




笑いたい。
いっぱいいっぱい笑って、
一生かかっても使い切れないこの幸せで、愛しい命を抱きしめたい。


生きたい。
いっぱいいっぱい生きたい。
もっと生きたい。
生きるために生きたい。
隣り合わせの死を抱きしめながら、
いっぱい生きたい。






とりあえず、明日(もう今日)、仕事に行く前に妹に会いに病院行って、
休憩時間にはお墓参りに行ってきます。






コメントレスはまた後でさせて頂きますね。
いつもありがとうございます。