CDジャケット、別フレ。



別フレ感想の前に、ちょっとネガティブというか、
曖昧でざっくりし過ぎてる、言葉の羅列に出来ない変な感情を、
出来るだけ自分に噛み含んでいけるように、メモ。
内君関連にナイーヴな方は見ない方がよいかも知れません。












関風のジャケット、あれが通常版なんでしょうか?
イラストじゃない、「7人」のエイトの写真なんでしょうか?
別フレでエイトのマンガが始まると初めて知ったのは、
あれは6月とかですかね?
その時、漠然と、
「あぁ、じゃぁその連載が始まる頃には内君復帰してんねや」って、
本当に普通に思ってました。
だってマンガになるって、「関ジャニ∞」の話って、
そんなん普通に8人の状態のマンガなんやろ、って、
深く何かを思うとかじゃなく、感覚的に直感的にそう決め付けていて、
だから、Jwebの「約束」が無くなって、新たに「7人」の単発ドラマが
上書きされるの見て、あぁ、違うのか、
「7人」のエイトのマンガなのかと思って、
CDジャケットが「7人」のエイトの写真なの見て、
あぁ、そうなんだ、と。


「なんで7人なのに”エイト”なん?」って聞かれるたびに、
「なんで”エイト”なのに7人なん?」じゃないんやね、って、
そんな細かい言い回しに辛くなったり、
もしかして、風化していきそうな、慣れてしまいそうな怖さに、
わざと自分で自分に叩き込もうとしてるんじゃないかとか、
引け目を感じてるのか、とか、
何に対して?どっしりと、祈るでも願うでも信じるでもなく、
内君が帰ってくるのを、ただただ待つ、そんな内君のファンの方たちに?


外圧的なものは、この際どうでもよくて。
CDの売り出し方とか、その他諸々、邪推しようと思えばいくらでも出来るし、
私がいま抱えてるこのモヤモヤは、そこは全く関係無い気がするし。


「キレイ事」は嫌い。
そんなんで生きていけるなら、私の両手はこんなに汚れてない。
なのに、相反する、脳の裏っかわのへんで、
キレイ事に包まれた何かを・・・あぁ、そこに、
そこに内君を持ってこようとしてる自分が恥ずかしいのか。
人にはキレイ事にすんなって言いながら、
自分は・・・そうだ、酔ってる。酔ってるんだ。
「8人でエイトなのよ!」って、いかにも昔からエイトを好きでした、
みたいな、そんな感情を持つ自分に酔いたいだけだ。
本当に本当はどう思ってる?
分からない。説明できない。
別フレを見て、あぁ、これでエイトを知った人は、
「7人が普通」の状態になるんだと思ったら、素直に泣けた。
そこに説明とか考えずに、
ただ・・・淋しい。
淋しい。
淋しいんだよ。
お前が何を知ってるんだ、えらそうな顔すんなって、
泣く自分を恥じるんだけど、
ただ淋しい。淋しいよ。
でも、強要することが間違ってるのも分かってる。
「別に7人でいいじゃん」って言う人を批判する気もない。
分からない。
「時間が傷を癒してくれる」のも分かってるけど、
「時間が傷をさらに抉る」ことも、世の中にはあるんだろうって。
淋しい。淋しいと、こんなふうにパソコン打ってるのも、
虚しくて淋しい。




『人のうわさにのぼることよりももっといやなことが、
この世に一つだけある。
―それは、ひとのうわさにのぼらなくなることだ。/オスカー・ワイルド