上手く説明出来ないけど。



どうせ分かるようになんて書けないから、支離滅裂でも今の感情、メモ。


内君が大倉君のコンサート見にきたっての聞いて、
普段はブックマークしてあるところしか覗かないんだけど、
詳細知りたいと思って検索して読ませてもらって、
あぁ良かったなぁって、可愛いね二人ともとか、
メンバーの繋がりとかやっぱり特別な錦戸君とか、何か込み上げてくるものあったんだけど。
何かさ、それを私なんかが「感極まって」いいんかよ?って、
冷静というか、自分を客観的に見たらどうしても思ってしまう。
「感極まる」ほど、お前が8人の何を知ってるんだって、
8人のエイトを生で見たこともなければ、8人時代をそう長く知っていたわけでもないのに。
どうしても、今でも、自分のことを「エイトのファン」だと言っていいのか、
何か後ろめたさがある。
前も書いたけど、私はエイトの内君とNEWSの内君って人は別人だとか思ってたし
(若い男子の顔の判別が本当に出来なかった/今もやけど)、
あの事件の一報を聞いたその瞬間、それから数日は、
何でここまでって、自分でも驚くくらい凹むというか、
周りのあれこれも含めて落ち込んで憤りを感じていたのに、
田口君がドラマに出ることになったら、それが嬉しかった。
今でも、あのドラマに田口君が出てくれて良かったと思ってるし。
あのドラマが無かったら、TTUNをあんなに好きにならんかっただろうし、
そしたら番組も見なくて、横山君やエイトをこんなに好きにもならんかっただろうし。
映像越しや、誰かの感想越し、メンバーの言葉、想い越しでしか、
内君の存在や関ジャニ∞の8の普遍性を知らない、分かってないくせに、
何でか時々知ったかぶっていっぱしのファンぶって、
内君のことを偉そうに語って、私何様だよって、めっちゃ思って。
内君がいない状態の今だからこそ、
内きゅん内きゅん言って、可愛い末っ子はよ戻っておいでとか言えてるけど、
それが実際になったら、もう私なんかが軽々しく「おかえり」とか「待ってた」とか、
そんな偉そうなこと、さも自分がずっとエイトのファンだったみたいなこと、
言えないし言う資格が無い気がして仕方無い。
そんなの関係無いって思う気持ちもあるけど、
自分が自分に対して抱く後ろめたさは、やっぱりどうやっても消せない気がする。


8→1を書き続けた大倉君の平常心と祈願が報われるといいなと思います。
そして、こんな風に7人時代だ8人時代だとか、そんな葛藤とか、
ぐちゃぐちゃした感情や割り切れない現実が、
どうでもいい過去の塵になって消えていけばいい。


素直な感情って、率直な感情って、それはもうただ、
別に私のファンの意義だとか意味だとかどうでもいいから、
8人でわちゃわちゃ笑ってるのが見たい。
内君コンサートに、エイトのメンバー来て、
あぁ、でもやっぱNEWSさんも来るんかな、とか、
そんなこと考え始めたらやっぱまたもやもやするけど、
エイトのメンバーもファンも世間も、
当たり前のように「関ジャニ∞内博貴」って、そう認識出来るひがくればいい。