横山君おめでとう。



たくさんの人に愛される人より、
たくさんの人を愛せる人の方が、
幸せの重さを知ってるんだと思う。
たくさんの言葉で飾られる人より、
たくさんの言葉を飲み込まされた人の方が、
悲しみの深さを知ってるんだと思う。


言葉として成立などしない感情がたくさんあって、
そのどれもを抱えられるし捨てられる、
「大人」って入れ物が面倒くさいことを知った上で、
「子供」の入れ物から大人を突ける、
誠意を置く場所さえはっきりしていたら、
その場所以外の雑言なんて聞き流せる、
切なくあることは武器だと自覚は出来なくても、
強がることは武器だと認識出来る、
優しいことを暖かいことをそれがそれだと思いもせずに、
当たり前のように大切なものを護ることが出来る、
怖いのは白いものを汚してしまうことじゃなく、
汚してしまったことを他人に咎められることだと気付いている、
目に見える涙よりも痛みを伴う辛さを溜め込んでも、
誰にも気付かれずに昇華出来る、


自分が自分として生を営んでいることをとうに分かってる、


横山君、27歳のお誕生日おめでとうございます。




私が横山君に求めているのは、
「常に全力」でも「常に一生懸命」でも「常に笑顔」でもなく、
自分が見たいと思った時に自分が見たい横山君を見て、
あぁ可愛いな、って、めちゃめちゃ可愛いな、って、
めっちゃ好きやなって、ほんのコンマ何秒でも、
ささくれた心が真綿で包まれたみたいな、優しいあったかい気持ちになれることで、
それは最初から最後までこっちのさじ加減一つで、
結局自分の心持ちで何かに対する評価なんて決まってしまうんであって、
どんなに他人が絶賛しようが賞賛しようが、
そこに全く興味の無い人間からしたらそんな賞賛無いのと一緒で、
批判や否定も全く一緒で、
誰がどれだけ辛辣に罵ろうと拒否しようと、
世の中の99%の人間が首を振るような言動を取ろうと、
私は、自分の意思で横山君を見たいと思って見るし好きだと思って好きなんだから、
この先もずっと、ニューロン単位でも、この人に否定的な感情を持つことはないんだと思う。




雑誌やラジオで横山君の優しいエピソードとか、
御家族との話やメンバーとの話とか、
可愛くてカッコ良くて素敵な横山君話を見聞して、
それをもう声高らかにときめき叫ぶことは無くても、
泣きそうなほど静かにこの人の一生のカケラを知られるフィールドにいる自分を嬉しく思うし、
ほんの少し前までは確実にあった、
この人の何かを知り得ない、人様は知り得るのに自分は知り得ない、
そんな状況に焦燥感や渇望感を持つことも、
もう今は殆どと言っていいほど無くて、
それはテンションが低くなったとか情熱が薄れたと言うより、
この人の素敵を出来るだけ長く見ていきたい本能が、
自分が疲れない心地良いペースで好きでいられるスタンスを作ってくれたんであって、
それは形には出来ないし言葉にも出来ないんだけど。


蹴鞠師の特典映像を見た時に感じたあの親情が、
私の横山君に対する感情の多分頂点にあるんだろうな。


結局何だかんだ言って(何だかんだは全て肯定でしか無いけど)、
めっちゃシンプルな話は、
私は横山君が大好きです。
大好きだと思えることも嬉しいし幸せだし、
横山君の存在そのものも嬉しいし幸せです。




どういうスタンスやパッションで仕事をしようと生きようと、
やる時でもやらないことがあってもどんな髪形しても体型になっても、
その全てを超越して、横山君が「可愛い」ことに変わりないです。
そして「可愛い」と思う感情は他のどの感情よりも強く濃く自分の中で残っていくので、
というか残していきたいので、これからもそのままの横山君でいて下さい。




27年目の横山君の人生も、横山君にとって最高なものでありますように。
他の誰でもない、横山君にとって最高なものなら、
横山君を好きな人間にとっても最高なものになるので。




また来年も、こうやって暖かい気持ちで横山君におめでとうを言えますように。