NO MORE HIROSHIMA






アメリカに「思いやり」をあげる前に、
自国の人間に思いやりを下さい。
昨日まで麦わら帽子をかぶって走っていた子供が、
貧困のせいで親に首を絞められて命を落とす日常に思いやりを下さい。
蒸し風呂のような狭いアパートの中で、
誰にも知られず死んでいくお年寄りが後を絶たない日常に思いやりを下さい。


戦争長者の靴をなめながら作るディストピアの中で、
瞳の奥からじわじわ腐って空っぽになっていく日常に思いやりを下さい。






人間は、唯一この世で「想像」が出来る生き物だから。




教室の外が急に光った。
友達の頭部が足元に転がってきた。


熱い。
熱い。
熱い。
痛い。
痛い。
痛い。


水が飲みたい。
飲みたいのに、足も腕も溶けていって上手く歩けない。
腐臭がする。
人が腐っていく匂い。
熱い。
世界は赤くて臭い。


お母さん。
お母さん。
口も溶けて、言葉が発せられない。
もう動けない。
腐った人間の上に、私も溶けながら腐っていく。






戦争は終わっても、身体に巣食った戦争は終わらない。
下を向くと鼻の奥が熱くなる。
ポタリポタリ、死の断片が紅く落ちてくる。
熱風でただれたこの顔じゃ、お嫁さんにもなれない。
それでも愛してると包んでくれた腕は、
内臓を灼きながら消えていった。






62年。
もう62年。まだ62年。
1945年8月6日。
セミはあの日も、鳴き続けて命を叫んでた。










こんなに保守的な県で育って、
日の丸が、君が代が、当たり前のようにこなされるような、
こんな保守的な県で育って、
こんなルサンチマンじみたことしか言えなくても、
被爆者として死んでいったおばちゃんの、
「怨むのも憎むのも疲れるけん、祈って動いていこうや」だけで、
何も出来ないことに苛立ちながらでも、
毎年背筋を伸ばして声をあげていこうと思える。






暑い夏に、今年も鐘の音が響いたよ。