郁弥。



フミヤを好きな事は生活の一部で、
エイトを応援するのは趣味の一環。




エイトの、去年の横アリオーラスのレポを拝見するたび、
そこに立ち会えなかった、
その素敵な時間を分かち合えなかったことが、
悔しくて悲しくて、
そこにいることが出来なかったエイトファンは大切に思ってもらえへんのか、
とか、めっちゃ訳分からん僻み根性丸出しの汚い感情で身動き取れないほどになってたけど、
どなたかの、そのレポの、ある一文を拝見したら、
すとん、と、本当にすとん、って、
あぁ、エイトとエイトファンの人たちが幸福なものに包まれて良かったと、
心から思えた。
やのにどんな文章やったか忘れた・・・。あかんなー。






それよりCDL・・・。
REVOLUTION 2007歌ったんだ・・・。








小学6年の春に、何でか急にフミヤが好きになった。
急にやないんかな・・・。
「Blue Moon Stone」で完全に刷り込まれた。


ジョン・レノンだったかポール(マッカートニー)だったか、
「エルヴィス(プレスリー)の前には何もない」と言ってたけど
(影響を受けたアーティストが)、
私もだ。
藤井郁弥の前には何もない」
手塚治虫三原順も、
レディオヘッドもオアシスも、
フェリーニシュヴァンクマイエルも、
全部フミヤの「後」だ。


「人は人、自分は自分」だって、
言葉だけじゃなく行動でも主張出来るようになった。
「変わったね」って、みんなに言われたよ。
自分でもそう思うよ。




MIARI MIRAI 未来 こんな世の中も
MIRAI MIRAI 未来 俺たちしだいさ


「辛いことも楽しめ」


それで乗り越えられたんだよ。
何度も何度も、このまま何もかも投げ出して逃げたら楽だと、
私には関係無いんだと、
食べる時間も無くて胃液を吐き出す毎日に、
耳鳴りが止まらないほどの疲労で階段踏み外して折れた鎖骨に、
泣きたいのに泣く暇も無い毎日に、
何もかも麻痺して焦点が定めにくくなった視力に、
「フミヤフミヤフミヤ・・・」
名前を呟くだけで、
歌を聴かなくても姿を思い浮かべなくても、
ただ名前を呟くだけで、
あぁ、大丈夫、まだやれる、まだやれる、って、
何度も何度も何度もすくわれて。




人が運転する車の助手席に乗ってた。
交差点で横からトラックが突っ込んできた。
ガラスの破片がちりちり腕に突き刺さっていくのを見ながら、
投げ出された車体を俯瞰で見ながら、
小学生の時の田んぼの匂いとかよみがえってきて、
最後の最後、地面に叩きつけられる、と、その瞬間、
親でも友達でも大好きな妹でもなく、
フミヤの顔が浮かんで、安心して意識を飛ばした。
うわ言でもずっとフミヤって呟いてたとかってどんだけ。


刷り込みってすげぇ。
無意識に求めるのは、何があってもどうやっても、
フミヤでしか有り得ないんだ、もう仕方無い。




あの瞬間、あの時にフミヤを好きになってなかったら、
私きっと今ここにおらへん。
絶対死んだ。






恋とか愛とかって何だよ、知らねーそんなの。
3年付き合ってよーがクリスマスだろーが指輪渡されよーが、
土下座して謝るよフミヤを好きな気持ちの一千億分の一もあなたのこと好きじゃない。
当たり前過ぎるから口に出さない。
当たり前なんだよ。
毎日ご飯食べて、トイレ行って、お風呂入って、
それと同じくらい、フミヤを好きなことは当たり前なんだよ。
その当たり前の枠は、フミヤでいっぱいいっぱいだ。
私一生結婚出来ねーじゃん。
「守られる」とか、
「抱かれる」とか、
「愛される」とか、
そんな受動的なもん何もいらない。
記憶が存在が、本能が・・・
依存。一方的な。
でも意識しない。無意識裡の本能。








20040817
人の死を受け入れたくないと思ったのは、この日が初めてだった。


20040828
マスターが結婚式に出るか何かで土曜日なのに休みだった。
無理やり行った福岡サンパレス


「魂のこもった歌」をきいたのは、人生でこれが初めてで、
それから今に至るまでもまだきいてない。
フミヤの歌に魂が宿れば宿るほど、
あいつは死んだんだ、あいつは死んだんだよと言われてるみたいで、
怖い。
怖かった。
毛穴から歌が染み込んできて、ずっと泣いてた。
ただ静かに、死んだんだ、本当に死んだんだと、
ゆっくり飲み込みながら泣いてた。静かに泣いてた。
会場に瀰漫していた穏やかな悲しみの中に、
死ぬほど細いのに死ぬほど美しくて未来永劫千切れないだろう糸を見た。
その周りにダイヤモンドダストのように輝く魂のかけら。
本当に本当に強くて綺麗だったけど、
二度と見たくない。
燦然とした夕陽も花火もあの人も、思い出すだけで鼻の奥が痛い。








言葉が言葉として成立しない。
何をどう綴ればこの感情が形に出来るのか。


ありがとうって言えばいいのか、
好きって言えばいいのか。


息をしているのと同じくらい不変的動作で想ってる。




横山君を見てぎゃーぎゃー騒ぐんだ。
かっこいいんだ。可愛いんだ。愛しいんだ。
エイトって素敵なグループなんだ。見てて幸せなんだ。




そんな感情も行動も全部、フミヤを好きな上に成り立ってんやろな。
知ってるから。
分かってるから。














何で急にこんなこと思い出したり改めたりしてんねやろ・・・。
あー、だからCDLのレポ拝見したからか・・・。
いいな。
今年は絶対行く。絶対行く。
大切に思ってる友達とはみんな、一緒にフミヤのコンサートに行きたい。
私の原風景は、今私がこうやって自分を愛して慈しんで生きてられるのは、
この人の存在があるからだと、この人を好きな事実があるからだと、
「でも私はフミヤ嫌い」とか「全然歌とか好きじゃない」とか、
そんなんどんどん言われても全然構わないから、
それでも、あれが私の好きな人なんだよーって感じてもらいたい。






好きです。
生きていて良かったと思わせてくれた初めての人です。
だから本当に刷り込み。
刷り込まれたのが、フミヤで良かった。






同じように、きっと、
「エイトの前には何もない」って方がたくさんおられるんだろうな。
それもとっても素敵だな。










これからの人生で、また何度も何度も死にたくなるほど辛いことがあっても、
もうどうしようもないほどの苦しみで雁字搦めになっても、
「フミヤ」と呟くその瞬間に何もかもを吐き出して、
左目にナイフを突き刺されても、右目で笑い返してみせる。


「強くなった」んじゃないな。
「強くありたい」と思えるようになった。
「私なんか」とか絶対言わねー。
全次元で全宇宙で一番、私は私が大好きだ。
ダメなところは直していこー。
こうした方がいいと思うならそうしよう。






藤井郁弥。やっしゃん。兄。フミヤ。


明日も、明後日も、フミヤは、フミヤ。
嬉しいな。


ありがとう。




・・・って何かやっぱ微妙にカッコつけとるよ自分。
もっとそのまんまは何やろ・・・。


好きやよ、フミヤ?


恥ずかしー!!
アホちゃうか!
好きなんか男子に言うたこと一回も無い!
「嫌いじゃないです」しか言うたことない!
いやー!でも好きやよー!