ユートピア。



完全なる私的メモ。
だから色々めちゃくちゃ。


久し振りにうたわらを見て、
聖君を見て泣きそうになった。
やっぱり聖君は私にとっての最後の砦だ。
「KAT/TUNのことがどうでもよくなる」から護る砦じゃなく、
「幻想世界の中でしかKAT/TUNを見られなくなる」ことから護る砦。




アイドルに幻想世界(本来の意味からは外れるけど、ユートピア表記で)を
投影するのは、当たり前だし、それをされてなんぼ、だとも思ってます。
でも、「好き」だから、そこにユートピアを見出そうとするのかと言えば、
それは違う気もするし。


だって、私はエイトにはユートピアを背負わせてるけど、
あの人にはユートピアを持ってない。
でも大好きだし、私の原風景はこの人を好きな自分だとさえ思ってる。


分かりにくいな。
どう説明しよう。


あの人がコンサートとかで、ドラえもんの真似したら、
「うわっ!似てねぇー!似てないよ!」って思って、
それで終わる。
横山君がドラえもんの真似したら、
「うわっ!似てねぇー!似てないよ!」
って思ったすぐ後に、
でも、これをメンバーとかに、
「似とる?似とる?」って言いながら練習してたら可愛いな、とか、
「事実」以外の空間を作ってしまう。
「妄想」でもあるし、そこまでいかなくても、
「きっとお兄ちゃんでいたいんだろうな」とか、
「〜だろう」って、そこに自分のユートピアをねじ込んでしまってる。


雑誌でもテレビでもラジオでも、
そっから得た情報に、何かしら虚飾して、
自分のユートピアに見合うような人格や世界観を彼らに押し付ける。


例えば、画面上の「事実」は、
『錦戸君が横山君を見た』だけなのに、
そこに、
『錦戸君が縋るみたいに、お兄ちゃんに助けを請うように横山君を見た』
と、主観的な形容詞、修飾語を入れてしまう。


あの人のことは、「事実」しか取り込まない。
あの人が歌詞間違えた。
あの人が笑った(「幸せそうに」とか、「切なそうに」とか、そんなの入れない)。
あの人が歌ってる。
声が伸びてる。かすれてる。風邪ひいてる。
そのまま。




諫早湾にギロチンが落とされていくのをライヴで見ながら、
ただその「事実」に涙が止まらなかったように、
そこに何の形容詞も修飾語も入れなくても、
ユートピアを背景に見なくても、
ただその「事実」だけで感動したり嬉しくなったり、
充分幸せを感じることは出来て、だから、
きっとあの人にはそのスタンスなんだろうな。
好きになったばかりの頃は、でも盛大にユートピアを求めてた。
でも今は全く求めない。
それは長く見てきているから、
脚色しないままの「事実」を楽しめるんじゃなく、
年月はきっと関係無くて、
あの人がいたグループの元メンバーが死んだから。
もうどんなにどんなに渇望しても、
私が求めるユートピアは形を成すことがないんだと、
「事実」として突きつけられたから。
その日から、あの人の背後にユートピアを見なくなった。
それは「失望」とか、「諦め」じゃない。
むしろユートピアに目が眩んで、こんなにも素敵な「事実」を、
変に味付けし過ぎて捻じ曲げてたのかとさえ思った。


ギロチンのように重い「事実」に、
「現実」と「ユートピア」を区切られるか、
想像も出来ないくらい、思い描くユートピアなんて話にならないくらいの、
幸福な世界を見せられたら、
きっと背後にユートピアを求めなくなるんだと思う。
エイトでいうなら、多分それは内君なんだろうと思う。
もう一度、8人で手をつないで「最高で最強」と手を高く振り上げた瞬間、
私はエイトに対してユートピアを持たなくなる気がする。
「横山君が笑った」
「すばる君が歌ってる」
「丸山君が安田君に話しかけた」
その「事実」だけに、嬉しく思える気がする。
当然、こんなブログも書かなくなると思う。
99%がユートピアの中に彼らを入れて、勝手に私が思う「事実」を書いてるだけだから。


だから、私が横山君やエイトを否定されると辛く思うのは、
それは「自分が思い描くユートピアの中の横山君(エイト)」を否定されたと感じるからだ。
あの人の悪口を言われても全然辛くもなんともないのは、
あの人はただあの人で、ユートピアに入れてないからだ
(もちろん、貶されるよりは誉められたほうが嬉しいけど)。


どちらがどうこうというものでは無いと思う。
どっちも楽しいことに違いはなくて、好きなことに変わりもない。




うたわらの聖君に泣いたのは、
「子供さんにファンだと言われて笑った聖君」という、
その「事実」だけで、「KAT/TUNファンの私」が見たからでもない、
ただテレビをつけたら男の子が笑ってた「事実」を、素敵だと思ったから。
はにかんで笑った、とか、嬉しそうに笑ったとか、
それはやっぱり主観で、だからそんな虚飾を脳内でつけるより先に、
「事実」だけに目がいって、そこを素敵だと思えて、泣けた。




言葉が足りない。
自分でも把握出来ない。






やたらとキレイ事(しかもそれを認識している人たちの間でしか成り立たないキレイ事)
ばかり、ずらーっと並んでるを見ると、
「それ」が大多数の意見であったとしても(しかもある一定方向にだけ迎合してる)、
「それ」を自分も思うことは、思想統制されてるようで気持ち悪い。
濁した書き方しか出来ないけど。




ダメだな。やっぱ頭が悪いとうまくまとめられない。




また追々言葉を探しながら見つかったら書いていこう。